花の家


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認知症の人
 「おふくろ(おやじ)、ボケたんか」などと言って、恐れたり、家族ぐるみで認めようとしなかったりしてきた病気、認知症。極度のモノ忘れからくる、不安感やイライラが主な初期症状のこの病気は、病気としての市民権のなさこそが大きな問題なのかもしれない。
 認知症のお年寄りの看取りまでのケアを、寄宿舎型の住居にて、二十四時間三百六十五日のケア体制で、請け負うようになってから満十年を超えた(八年前からはリビングルームを中心にした「花の家」)。これまでに看取った方は三十六人(2008年8月現在で63人)になったが、どの方とのお付き合いも、最期に残るのは良い思い出ばかり。お世辞だよと笑われるかも知れないけれど、「花の家」を見学した人たちは、「温かい雰囲気ですね」と口を揃えたように言ってくれる。それが本当ならば、温かさを醸し出す中心にいるのは、他ならぬ認知症のお年寄りたちだ。そんなお年寄りの陰になり日なたになりして、お相手をするのがスタッフである。時には言葉の使い方を間違えるスタッフもいて、おしかりを受ける。それでもありがたいことに、すぐに忘れてもらえる。
 先日、ホームページで知った「花の家」を、修学旅行の研修先に選んでくれた静岡の中学生が、三人で訪れた。その初々しい笑顔に、認知症のお年寄りは大喜び。「よく来たね」と手を取って言い、目を潤ませて「また来ます」と約束する彼女たち。こういう場面を、幾つもつないでいきたいと思う。誰もがみんな、認知症の予備軍だから。
(日本いのちの花協会代表)

 

記事01

京都新聞 2005年(平成17年)
7月17日日曜日 掲載記事
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ケアする態度
 看護学校で、私は患者さんと向き合う態度について学んだ。「人間として対等である」ということを。しかし、それは間違いだった。その間違いに気づかせてくれたのは、私が独立して開いた「花咲きくらぶ」という月に一回のレクリエーションの集いに集まって来た、たくさんのお年寄りや講座の受講生の方々だった。考えてみれば、ふつうの学校では、一つ年上でも先輩として敬意を持ってあいさつをする。家の近所では年上の人には敬語で話す。親と友達は違う。「人間であれば、みんな対等」などということはないのだ。それなのに「対等」という教育の仕方はどうして生まれたのか。今でも、社会福祉系の大学を出たり、病院で看護師をしていた人に問いかけると「対等」と答える。私たち日本人は誰でも、家庭や小学校で、目上の人には敬語で話す、ということを学んできたはずであったのに。それが、目上の人にもケアの対象になるとき、「してやってあげてる目下」になるので、人間扱いするように、モノ扱いしないように、「せめて対等に」と言うことであろう。
 また、お金を頂いているという理由で、手のひらを返したようなお客様扱いをするというのもむなしいと思うのは私だけか。自分が年老いた時、たとえ寝たきりになっても、幾山河を生き抜いてきた人として、ただそれだけで、若い人たちに敬意を持って接してもらうならば、どんなに幸せな人生の仕上げになることだろう。
(日本いのちの花協会代表)

 

記事02

京都新聞 2005年(平成17年)
8月28日日曜日 掲載記事
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